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【訃報】異才、坂田信弘、泉下の客に。ゴルフ界に確かな足跡を残して

【訃報】異才、坂田信弘、泉下の客に。ゴルフ界に確かな足跡を残して

坂田信弘:ゴルフ界の異才

 2024年7月22日、日本ゴルフ界は偉大な人物を失いました。プロゴルファー、観戦記者、レッスン書、ビデオ、作家、漫画原作、講演、そしてジュニアゴルフ塾主宰として、坂田信弘氏は多岐にわたる分野で異彩を放ちました。彼の功績と人生の軌跡を振り返りましょう。

早期のキャリア
1947年、熊本市で生まれた坂田は、京都大学文学部に進学しましたが、家族のために中退して自衛隊体育学校に入隊。その後、プロゴルファーを目指すために鹿沼CCの研修生となり、愛知県の貞宝CCでプロテストに合格しました。わずか3年11カ月でプロとなった彼の速さは異例でした。

執筆活動と観戦記者としての活躍
1984年、週刊ゴルフダイジェスト誌が坂田に「ペプシ宇部トーナメント」の自戦記を執筆させたことがきっかけで、彼の執筆活動が始まりました。その観戦記は坂田独自の感性で綴られ、世界の超一流プロゴルファーたちのスキルと心理を分析し、読者を魅了しました。

ジュニアゴルフ育成の先駆者
坂田はジュニアゴルフ育成にも力を注ぎました。彼の「坂田塾」は地元熊本から始まり、札幌、福岡、東海、神戸、船橋と広がりました。坂田は子どもたちに無料で指導し、プロゴルファーを目指す道筋を示しました。塾出身者の中には、古閑美保、上田桃子、有村智恵、笠りつ子、安田祐香などがいます。

著作とメディア活動
坂田は著作、漫画原作、テレビ番組、ビデオなど多岐にわたるメディアで活躍しました。特に『ゴルフ進化論』の単行本とビデオ8巻は彼の貢献の一端です。

最後のスタイル
坂田は古びた木製の台の上に原稿用紙を置き、黒のサインペンで書いていくスタイルを最後まで変えませんでした。彼の独特の頭脳と情熱は、ゴルフ界に大きな足跡を残しました。

坂田信弘氏のご冥福をお祈りいたします。

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