日本が高度成長期の終わりを迎えた頃、ゴルフ界に美しい存在が現れました。その名は「ローラ・ボー」。彼女は昭和の日本の居間を飾るカレンダーに登場し、「アーノルド・パーマー(米国)と夫婦役でテレビCMに出演するなど、文字通りお茶の間の人気者となりました。彼女の美しさとゴルフの腕前は多くの人々に記憶されていることでしょう。
若き日のローラ・ボー
1955年、フロリダ州で生まれたローラ・ボーは、2歳の頃から父親の指導でゴルフクラブを握りました。両親の離婚によりカリフォルニア州へ移住し、14歳で「ロングビーチ・ジュニア選手権」を制し、公共コースのフリーパスを手に入れました。彼女はゴルフに熱中しました。
輝かしいキャリア
1971年、16歳のボーは「全米女子アマ選手権」で優勝し、当時の最年少記録を更新しました。彼女の美貌、スタイル、ファッションセンスは米国で大きな注目を浴び、米ゴルフダイジェスト誌の「モースト・ビューティフル・ゴルファー」に選出されました。
1972年、17歳のボーは、18歳になるまで米国女子ツアーに参戦できないことから、日本ツアーに参加することを決意しました。彼女は日本ツアーの第1回「ワールドレディス」に登場し、ファンから熱狂的な支持を受けました。
人生の波乱
18歳になると、ボーは米国女子ツアーに参戦しました。デビュー戦で2位に入り、ルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝きましたが、プロとしての勝利は手にできませんでした。
一方で、彼女の裏側にはアルコール依存症や最初の夫からのDVといった苦難がありました。しかし、彼女は再婚し、4人の娘と3人の息子を持つ母として幸せな時間を過ごしています。特に長男のエリックは米国男子ツアーで活躍しています。
現在のローラ・ボー
今でも69歳のボーは週に4〜5回、カートでプレーしています。3年前には「全米シニア女子オープン」に出場を目指したこともありました。「ゴルフを愛していると分かった。今は家族とプレーすることが本当に楽しい」と彼女は語っています。
ローラ・ボーはゴルフ界の伝説的な存在であり、彼女の人生とキャリアは多くの人々に感銘を与えています。