「ナカタ以上という声も多かったが…」1年でセリエAを去った“日本人ファンタジスタ”をイタリアメディアが回想「悲しき帰還となった」
今から26年前、セリエAに3人目の日本人選手が誕生した。三浦知良、中田英寿に続き、当時世界最高峰のリーグと言われたイタリアに向かったのは、元日本代表MFの名波浩だ。
名波は1999-2000シーズンにセリエAのヴェネツィアでプレーした。当時の会長はのちにパレルモを率いたマウリツィオ・ザンパリーニ。指揮をとっていたのは、先日までイタリア代表監督を務めていたルチャーノ・スパレッティだ。
ペルージャでの中田のブレイクもあり、期待された名波氏だったが、1年のレンタル生活を経て日本に帰国。セリエAでは24試合出場で1得点という数字だった。
名波がヴェネツィアに加わった6月22日、地元メディア『Tutto Venezia Sport』は当時を回想。
同氏を「ナカタ以上の選手という声も多かった日本人ファンタジスタ」と振り返っている。
「期待は大きく、クラブは背番号7を与え、ザンパリーニ会長は『アルバロ・レコバと同じ格』とまで口にした。日本から来た新たなカンピオーネとして紹介された。だが、スタートは順風満帆ではなかった。当時のスパレッティ監督は、戦術的な指示を分からせるために通訳を必要とした」
「(名波の移籍は)大きな失敗だっただろう。24試合出場で1得点にとどまり、それもウディネーゼに2-5で敗れた無意味な得点だった。そしてチームは降格し、彼にとってもジュビロ磐田への悲しき帰還となった。ただ、多くを教訓としての帰還だ」
以降、日本からは11人の選手がイタリアを経験した。現在パルマでプレーする鈴木彩艶が14人目だ。
ただ、大きな成功を収めた選手は限られている。これからその数は増えていくだろうか。
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