ランニング・マンEmilia Jones
前日受付は悪夢の始まりだった
大会前日の土曜日、羽田から伊丹に飛び、その足でインテックス大阪へ向かった。ランナー受付会場は圧巻の熱気で、ゼッケンを受け取るまでに30分。それでもEXPO会場の活気は嫌いじゃない。むしろ、前日からこんなに盛り上がれる大会はそうない。ブースを冷やかしていると、見慣れぬジェルを見つけた。Precision Fuel & Hydrationという英国発のブランドで、塩分量が従来品より多いらしい。夏場の練習で足を攣りやすい自分にはうってつけに思えて、即購入した。あとで思えば、この判断がレースを左右した。
問題は宿だった。リーズナブルに抑えようと選んだ心斎橋のカプセルホテルが、まあ寝られない。隣のカプセルからはイビキ、通路を挟んだ先では夜中2時まで動画を観ている気配がする。耳栓をしても無駄で、結局ウトウトしたのは午前3時すぎ。気づけば4時半のアラームが鳴り、睡眠時間は1時間半にも満たなかった。スタート前にこれほど後悔したことはない。安宿選びは計画的に、と声を大にして言いたい。
号砲とともに、血糖値を睨みつつ走る
私には人より少しだけ気を遣うことがある。1型糖尿病だ。ポンプは使わず注射で基礎インスリンを管理していて、レース当日はいつもの7割に減らして臨んだ。朝食はコンビニのおにぎり2個とバナナ。スタート1時間前に血糖値を測ると138mg/dL。悪くない。
スタートロスは約2分。御堂筋を北上する最初の5kmは、とにかく人が多くて自分のペースを掴みにくい。キロ5分を切るランナーが多く、つられると後半死ぬと思い、意識的に抑えた。最初の5kmは25分12秒。事前の想定より10秒遅いが、ここはOKラインだ。
10kmまでは自分と対話する時間になった。右手に法善寺横丁の看板が見えたあたりで、沿道から「おっちゃん、がんばれ!」と声が飛ぶ。おっちゃん扱いされる歳になったかと苦笑しつつ、心は妙に温まった。大阪の応援は距離感が近くて、走っているだけで元気が湧いてくるのが不思議だ。
15km手前で最初の補給。買ったばかりの高塩ジェルを口に含むと、ややしょっぱさが強くて水を多めに取った。これが功を奏して、20km地点の道頓堀では足が驚くほど軽い。あの有名なグリコ看板の前を通過する瞬間、沿道の大歓声に押されて自然とピッチが上がった。ハーフ通過は1時間42分台で、正直「サブ3.5いけるかも」と欲が出始めた。
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28km、悪魔が潜んでいた
四天王寺周辺の緩やかなアップダウンに差し掛かったのは、28kmを過ぎたあたり。心拍数は許容範囲だったが、太腿の裏に張りを感じ始めた。30km地点の給水でマグネシウムの顆粒を流し込み、足攣りに備える。しかし、31kmの上り坂で左ふくらはぎがビクンと鳴き、一気にペースを落とさざるを得なくなった。あの独特の予兆、ランナーなら一度は経験したことがあるだろう。走りながら芍薬甘草湯の顆粒を口に放り込み、歩きはしないがキロ5分40秒までダウン。ここからが本当の我慢比べだった。
33km付近は住宅街で、地元の方がミカンや飴を手渡ししてくれる。その温かさに救われ、何とか再加速。35kmを過ぎた頃にはダメージを受け入れ、逆に「あとはキロ5分20秒でいいじゃないか」と開き直った。その瞬間、不思議と呼吸が楽になって、ラスト2kmだけはキロ4分55秒まで盛り返せた。
まいどエイドと大阪グルメ、応援が支えた終盤戦
大阪マラソンの醍醐味といえば「まいどエイド」だ。25km付近で登場する地元ボランティア手作りの給食ステーションでは、たこ焼き、冷やしおでん、いちご大福などがずらり。私は冷やしおでんの大根を一切れだけいただいた。レース中のガッツリ補給は胃が受け付けないタイプだが、あのダシの染みた大根の優しい味は、疲れた体に染み渡った。31kmのピンチを凌げたのはこのおかげかもしれない。
応援のパワーも半端じゃない。道行く人全員がランナーの名前を呼んでくれるかのような錯覚に陥るほどで、「ナイスラン!」「あとちょっとやで!」の声が止まない。御堂筋の銀杏並木を抜けるクライマックスでは、大観衆の声援が壁となって背中を押してくる感覚があった。こればかりは走った人にしかわからない、まさに大阪の真骨頂である。
コースの真実と記録の変遷
大会後の公式発表では出走32,989人、完走31,483人で完走率95.4%。相変わらず高い数字だ。コースは最大高低差約20mとフラット基調で、記録を狙うには絶好の舞台。ただし30km手前の四天王寺界隈だけは、アップダウンが短い間隔で繰り返され、脚にダメージが溜まりやすい。私が攣りかけたのもまさにここだ。初心者がひたすら気持ちよく走れるコースではないが、7時間の制限時間があるから、完走だけが目標なら怖がる必要はまったくない。
過去の大会を振り返ると、2025年は近藤亮太が初マラソン日本最高の2時間5分39秒で沸かせ、今年はさらにハイレベルな異次元の戦いとなった。市民ランナーにとっても、いわば“聖地”で走る価値は年々大きくなっている。
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こんな人には大阪マラソンが刺さる
初マラソンの舞台に選ぶ人から、サブ3.5やサブ4を狙う中級者、海外から観光がてら走るランナーまで、本当に裾野が広い大会だ。特に、沿道の熱気や給食を楽しみたい人には日本一かもしれない。一方で、ガチで記録を狙うなら、スタート直後の大混雑とアップダウンへの備えは絶対に欠かせない。
私自身が困ったポイントを三つ挙げておく。第一に、前述の宿問題。カプセルホテルは博打だ。多少高くても静かなビジネスホテルを確保すべきだった。第二に、給水の混雑。15kmまではテーブルが大渋滞で、足を止めないとコップを取れない場所もあった。第三に、大阪の気まぐれな気温。この日は意外と気温が上がり、ゼッケン裏の体温調整が後半に響いた。ウエア選びは直前の天気予報を熟読することだ。
それでも、あのフィニッシュゲートをくぐった瞬間の充足感は何にも代えがたい。大阪マラソンは走る楽しさを、まるごと味わわせてくれる。記録も、応援も、グルメも、すべて詰まったこの大会を、私はまた走りたいと思っている。
