横浜マラソンを走ってわかった首都高の真実と完走のコツ

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横浜マラソンを走ってわかった首都高の真実と完走のコツ
初めてのフルマラソン、それも地元横浜で開催される大会にエントリーしたのは、完全に勢いだった。周りのランナー仲間が次々と申し込むのを見て、気がつけば抽選ボタンを押していた。当選メールが届いたときの高揚感と、その数分後に襲ってきた「42.195キロって何時間走るんだっけ」という現実。練習はしていたものの、週末のロング走はせいぜい20キロ止まり。正直、完走できる自信は半分もなかった。

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横浜マラソンを走ってわかった首都高の真実と完走のコツの要点

それでもなんとかスタートラインに立った2025年10月の朝、みなとみらいの空はどんよりとした曇り空だった。ランドマークタワーの先端が雲に隠れていて、今にも雨が落ちてきそうな気配。スタートブロックに整列しながら、周囲のランナーたちのピリッとした緊張感が伝わってくる。ウェアはショーツに半袖、その上に100均のポンチョを羽織っただけの軽装。雨が本降りになったらと考えると不安だったが、走り出せばどうにかなるだろうと楽観的に構えていた。

号砲とともにゆっくりと動き出した集団。最初の5キロは、とにかく周りのペースに巻き込まれないよう意識した。横浜赤レンガ倉庫や山下公園前を通り過ぎるあたりでは沿道の声援が途切れず、気持ちよく足を運べる。「あ、これ気持ちいいかも」と思えたのは、この辺りまでだった。

10キロを過ぎたあたりから小雨が本降りに変わり、シューズの中にじわじわと水が染み込んでくる。それでもランドマークを背に走るコースは地元民として誇らしく、給水所のボランティアの笑顔にも励まされた。問題は、ネットで何度も「魔の区間」と呼ばれていた首都高速道路だ。22キロ付近、杉田入口からついにそこへ足を踏み入れることになる。

首都高に入る直前、エイドステーションで配られていた「一口おにぎり」を手に取った。塩加減が絶妙で、冷えた体にしみる。ただ、このおにぎりが想像以上に大きく、噛み締めているうちに口の中の水分が一気に奪われていく感覚に焦った。急いで水を流し込んだが、これが後々まで響くことになる。

高速道路に入った瞬間、景色が一変した。遮音壁と空しか見えない無機質な空間、そして応援の声が一切届かない静けさ。走っているのはランナーだけ。息遣いと足音だけが周囲に響く。いや、それよりも問題だったのは路面の傾き、いわゆるカントだ。緩やかなカーブに差し掛かるたび、右足だけ外側に、左足だけ内側に負荷がかかる。平坦に思える直線部分でも微妙に傾いていて、片方の膝にじわじわと疲労がたまっていくのがわかった。

25キロを過ぎたあたりで、ついに左ひざの外側に痛みが出始めた。いわゆる腸脛靭帯炎の初期症状だ。普段の練習では30キロ走っても平気だったのに、この傾斜のせいで関節へのダメージが明らかに早い。ペースを落とそうにも、高速道路上にはエイドが少なく、いったんリズムが崩れると立て直しが難しい。頭の中で「まだ17キロもあるのか」という悪魔のささやきが大きくなってきた。

そして迎えた30キロの壁。これまで何度も書籍やネット記事で見聞きしてきた壁は、思っていたよりずっと手ごわかった。突然、両足が鉛のように重くなり、目の前のランナーとの距離がみるみる広がっていく。脚を動かしているつもりなのに、頭でイメージする半分も前に進んでいない感覚。ガーミンを見ると、ペースがキロ7分近くまで落ち込んでいた。ここで初めて「もしかして終わったか」と思った。

そんな中で救いになったのは、32キロ付近のエイドだった。この日をどれだけ待ち望んでいたかわからない、コーラの給水が現れたのだ。冷えた炭酸が喉を通る瞬間、脳みそが痺れるような感覚が走り、つかの間の覚醒状態に入る。さらに「ラッキー給食」として配られていた横浜ハンマーヘッド謹製のスイーツ、何かは覚えていないがとにかく甘くて柔らかい一口サイズの焼き菓子で、これが驚くほど美味かった。固形物を受け付けなくなっていた胃にもすんなり入り、ようやく視界がクリアになった。エイドの力は本当にすごい。

それでも36キロ付近からは、根性だけではどうにもならない局面を迎えた。高速道路を出て一般道に戻る直前あたり、記憶が断片的にしか残っていないのだが、沿道の「あと少しだよ!」の声援だけが異様に鮮明に耳に残っている。知らない人たちの声が、こんなにも力になるなんて思わなかった。涙で視界が歪み、何度も顔をしかめながら一歩ずつ足を前に出す。ラスト3キロはタイムなんて頭になく、ただただゴールを目指すだけの原始的な時間だった。

パシフィコ横浜のゴールゲートが見えた瞬間、残っていたはずの体力はどこからか戻ってきた。わけもわからずスパートをかけ、最後の数十メートルだけは誰よりも速く走れた気がする。気がするだけだが、それでいい。

手にした完走メダルはずっしりと重く、リボンには「YOKOHAMA MARATHON 2025」の文字。参加賞のタオルを肩にかけ、しばらく動けずにへたり込んだ。記録はネットタイムで5時間16分34秒。タイムを自慢できる数字ではないが、それでも42.195キロを走り切ったという事実だけで十分誇らしかった。

今振り返ってみると、横浜マラソンは決して簡単なコースではない。まず首都高のカントは想像以上に脚を削ってくるので、普段の練習から不整地や傾斜のある道を選んで走っておくとよい。できれば片側に傾いた歩道や河川敷のスロープを積極的に取り入れ、左右のバランス感覚を養うのがおすすめだ。

また給水や給食の取り方にもコツがいる。前述の一口おにぎりは確かに美味しいが、口の中の水分を持っていかれる。走りながら頬張るのは意外に難しく、のどに詰まらせかけもした。あらかじめ小さくちぎるか、立ち止まってでもしっかり水で流し込む方が安心だ。エイドステーションの数は18か所あるとはいえ、高速道路上では間隔が長く感じられる。喉が渇く前に確実に補給する習慣をつけておくとよいだろう。

そして何より、応援の重要性だ。高速道路の無観客区間でどれだけ寂しさと孤独に耐えられるかが、完走のカギになる。家族や友人に杉田入口の手前や首都高出口あたりで声をかけてもらえるように頼んでおくと、気持ちが途切れない。実際、私も高速道路上でたまたま見つけた友人の応援に救われ、1キロ近くペースが戻った。あれがなければ6時間の関門は確実にアウトだったと思う。

横浜マラソンは、タイムを狙う上級者よりも、初めてのフルマラソンに挑戦する人や、地元の景色を味わいたい人に向いていると感じる。制限時間が6時間30分と比較的ゆったりしているおかげで、極端な話、多少歩いてもゴールできる計算だ。実際、後半の関門さえクリアできれば、完走率はかなり高い。

ただ、首都高に上がる前にかっ飛ばしすぎると、後半の傾斜で地獄を見る。私はそれで30キロ以降失速した。22キロから先はまったく勝手が違うと思っておいた方がいい。前半の貯金はこの区間で一瞬で溶ける。

最後にこれは個人的な戒めでもあるのだが、雨のマラソンは舐めてはいけない。シューズが濡れて重くなり、足の裏の皮膚がふやけてマメができやすくなる。ワセリンをたっぷり塗っておけばよかったと、走り終わった後の血まみれの靴下を見て心底後悔した。

それでもなお、みなとみらいのゴール地点で味わったあの達成感は何にも代えがたい。ボランティアの高校生がかけてくれた「おかえりなさい」の一言で、また来年も走りたいと思えたのだから。横浜マラソンは、苦しいのに不思議とまた足を運びたくなる、危険で魅力的な大会である。

ランニング・マンEmilia Jones

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